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公開日
2025.04.04
更新日
2025.04.07

Wikipediaで米国大統領ジョー・バイデンの生い立ちを調べてみた
Wikipediaで米国大統領ジョー・バイデン(Joseph Robinette Biden Jr.)の生い立ちを調べてみました。
ジョー・バイデンの生い立ち
ジョー・バイデンは、政治家としての長い経歴を持ち、民主党に所属しています。彼は調整型の政治家として党派を超えた信頼を築き、アメリカ合衆国のリーダーシップを回復するために大統領として活動しています。
幼少期
1942年11月20日、ペンシルベニア州スクラントンにて父ジョセフ・バイデン・シニア(Joseph Robinette Biden Sr.)と母キャスリーン・ユージニア・フィネガン(Catherine Eugenia Finnegan)の間に4人兄弟の長男として誕生した。父親のジョセフ・バイデン・シニアは20代のころはヨット・狩猟・自動車などの趣味に熱中するなど、非常に裕福な生活を送っていた。しかし長男であるジョーが生まれたころには、彼は数件の事業に失敗し、その為にジョーの母方の祖父母に当たるフィネガン夫妻と数年に渡って同居しなければならなくなるなど、バイデン一家は苦しい生活を送っていた。
その後、1950年代の経済低迷の中で、父のジョセフ・シニアも生計を立てていくだけの十分な仕事が得られなくなってしまったことから、10歳のころにデラウェア州クレイモントに引っ越し、その後さらに父親が勤めていた冷暖房用ボイラー清掃会社のあるデラウェア州ニューキャッスル郡のウィルミントンへ引っ越し、以後高校卒業までこの地で過ごす。ウィルミントンは、後にバイデンが弁護士として初めて開業した地であり、現在に至るまで自宅を構えている地でもある。ちなみにこの前後にフルートを愛好していたことから、「Fleet Flutin Joe」というあだ名が付いていたという。その後ジョセフ・シニアは中古車のセールスマンの職を得て、バイデン一家は中産階級家庭として安定した生活を送ることになる。
高校時代
バイデンはクレイモントにあるカトリック系の私立学校であるアーキメア・アカデミーへ入学し、1961年の卒業までこの学校で過ごした。在学中はフットボールと野球に熱中し、特にフットボールにおいては、高校のフットボールチームに所属し、ハーフバック(ランニングバックの一種。)やワイドレシーバーのポジションで活躍、長年にわたって敗北続きだったチームを最終学年時にはシーズン無敗を達成するまでの強豪チームに成長させた一翼を担った。また、政治活動についても、ウィルミントンの劇場で行われた人種差別に反対する座り込み活動に参加するなど、積極的に取り組んだ。学業に関しては平凡で目立たない生徒であったものの、バイデンはリーダーシップを発揮する生徒であったという。
大学時代
1961年にアーキメア・アカデミーを卒業した後、ニューアークにあるデラウェア大学に進学し、歴史学と政治学を専攻した。当初はアーキメア・アカデミー時代と同様にフットボールに熱中、デラウェア大のチームであるデラウェア・ファイティンブルー・ヘンズに所属し、最初は新入生チームにおいてハーフバックとしてプレーしていた。学業の成績はあまり優れず、専攻していた歴史学と政治学において学士号を取得し、1965年に卒業したものの、688人中506番目というあまり良くない成績で卒業することになった。
大学院・弁護士時代
その後、シラキューズ大学のロースクールに進学。1968年に法務博士号を取得、修了後の翌1969年にはデラウェア州弁護士会へ加入し、ウィルミントンで弁護士として開業した。
ロースクール在学中の1966年に彼は最初の妻であるネイリア・ハンターと出会って結婚する。ネイリアとの間には2男1女(ジョセフ・ロビネット・バイデン3世、ロバート・ハンター・バイデン、ナオミ・バイデン)をもうけた。
幼少期から吃音症に苦しみ、その克服に20代前半まで要した。鏡の前で詩の朗読を続けていた。また近親者がアルコール中毒で苦しんでいたことから禁酒家となった。
群議会議員
1970年11月にバイデンはニューキャッスル郡郡議会(英語版)選挙の第4区に民主党候補として出馬し、当選を果たした。このころは弁護士としての活動を開始してから間も無い時であった。
妻子の交通事故死
1972年12月18日、妻のネイリアが交通事故で亡くなった。彼女はクリスマスの買い物をするため、3人の子供たちを連れてデラウェア州ホケッシンに車で出かけていたのだが、ネイリアの運転するステーションワゴンは、交差点でトレーラーに追突され、ネイリアとまだ幼かったナオミが死亡し、ボーとロバートは生き残ったものの、瀕死の重傷を負った。当時の警察の記録はすでに失われているが、当時の新聞の報道はトレーラーの運転手に過失は無いことを明らかにしている。なお、この日は連邦上院議員に当選した直後であった。
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まとめ
ジョー・バイデンは中流の家庭に育ち、デラウェア大学に進学し、歴史学と政治学を専攻したものの、688人中506番目というあまり良くない成績だったようです。
民主党では調整型の政治家として地歩を固めて大統領となることができたようです。
ちなみに以下の英音研のブログもご一読ください。
どうすれば英語リスニング脳を創る事ができるか?「単語ごとの英音認識」と「意味の理解」ができるようになる学習法
https://www.eionken.co.jp/note/listening-english-recognition-understanding/
「英語リスニング勉強法」「英語リスニング悩み解決」ブログ記事のリンク一覧
https://www.eionken.co.jp/note/english-listening-study-method/
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著者Profile
山下 長幸(やました ながゆき)
・英音研株式会社創業者・代表取締役
・米国系戦略コンサルティングファームであるボストン コンサルティング グループ(BCG東京オフィス)及びNTTデータ経営研究所において通算30年超のビジネスコンサルティング歴を持つ。BCGでは日本のみならず、米国・欧州企業向けに経営戦略、マーケティング戦略、業務改革(BPR)、新規事業や新サービス開発プロジェクト、ソーシャルメディアマーケティングなどを多数経験。NTTデータ経営研究所においては、グローバルビジネス推進センターのエクゼクティブコンサルタントとして、米国、中国、台湾、香港、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシア、バングラデシュ、UAE、サウジアラビアなどにおける市場調査・輸出拡大戦略立案などに従事。
・英語リスニング教育の専門家。長年、英語リスニング学習を実践・研究し、日本人に適した英語リスニング学習方法論を構築し、サービス提供のため英音研株式会社を創業。
・英語スピーキング脳を構築する効果的な学習方法も考案、英音研公式ブログに学習方法を投稿。
・趣味は米国の映画・ドラマを視聴して、米国人の価値観、文化、風習などを感じ取ること
・最近は、長年疑問に思っていたことや知りたいと思っていたことを生成AIに質問して、回答を読んで納得したりしている。これからの時代は膨大な知識データベースでもある生成AIへの質問力がポイントになると考えている。
・晴れていると、近くの小さな川沿いをウォーキングして、季節の移ろいを感じている。
・英語関連の著書に「生成AIをフル活用した大人の英語戦略」「英語リスニング学習にまつわるエトセトラ:学習法レビュー」「なぜ日本人は英語リスニングが苦手なのか?」など8冊がある。
Amazon.co.jp: 英音研株式会社: 本、バイオグラフィー、最新アップデート
・「シニアになって米国オンライン教育を受講してみた」シリーズとして9冊の書籍を発刊
「シニアになって米国の子供向け英語フォニックスのオンライン教育を受講してみた」
「シニアになって米国高校生向け米国史オンライン教育を受講してみた」
「シニアになって米国高校生向け化学オンライン教育を受講してみた」など
・ビジネスコンサルティング技術関連の著書に「ビジネスコンサルティング技術・マインド体系」「新規事業アイデア創造の技術」「ビジネスレポートを書く技術」「ビジネスプレゼンテーションの技術」など14冊がある。