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公開日
2024.03.28
更新日
2024.03.31
Wikipediaで米国大統領ジョー・バイデンの生い立ちを調べてみた
Wikipediaで米国大統領ジョー・バイデン(Joseph Robinette Biden Jr.)の生い立ちを調べてみました。
ジョー・バイデンの生い立ち
ジョー・バイデンは、政治家としての長い経歴を持ち、民主党に所属しています。彼は調整型の政治家として党派を超えた信頼を築き、アメリカ合衆国のリーダーシップを回復するために大統領として活動しています。
幼少期
1942年11月20日、ペンシルベニア州スクラントンにて父ジョセフ・バイデン・シニア(Joseph Robinette Biden Sr.)と母キャスリーン・ユージニア・フィネガン(Catherine Eugenia Finnegan)の間に4人兄弟の長男として誕生した。父親のジョセフ・バイデン・シニアは20代のころはヨット・狩猟・自動車などの趣味に熱中するなど、非常に裕福な生活を送っていた。しかし長男であるジョーが生まれたころには、彼は数件の事業に失敗し、その為にジョーの母方の祖父母に当たるフィネガン夫妻と数年に渡って同居しなければならなくなるなど、バイデン一家は苦しい生活を送っていた。
その後、1950年代の経済低迷の中で、父のジョセフ・シニアも生計を立てていくだけの十分な仕事が得られなくなってしまったことから、10歳のころにデラウェア州クレイモントに引っ越し、その後さらに父親が勤めていた冷暖房用ボイラー清掃会社のあるデラウェア州ニューキャッスル郡のウィルミントンへ引っ越し、以後高校卒業までこの地で過ごす。ウィルミントンは、後にバイデンが弁護士として初めて開業した地であり、現在に至るまで自宅を構えている地でもある。ちなみにこの前後にフルートを愛好していたことから、「Fleet Flutin Joe」というあだ名が付いていたという。その後ジョセフ・シニアは中古車のセールスマンの職を得て、バイデン一家は中産階級家庭として安定した生活を送ることになる。
高校時代
バイデンはクレイモントにあるカトリック系の私立学校であるアーキメア・アカデミーへ入学し、1961年の卒業までこの学校で過ごした。在学中はフットボールと野球に熱中し、特にフットボールにおいては、高校のフットボールチームに所属し、ハーフバック(ランニングバックの一種。)やワイドレシーバーのポジションで活躍、長年にわたって敗北続きだったチームを最終学年時にはシーズン無敗を達成するまでの強豪チームに成長させた一翼を担った。また、政治活動についても、ウィルミントンの劇場で行われた人種差別に反対する座り込み活動に参加するなど、積極的に取り組んだ。学業に関しては平凡で目立たない生徒であったものの、バイデンはリーダーシップを発揮する生徒であったという。
大学時代
1961年にアーキメア・アカデミーを卒業した後、ニューアークにあるデラウェア大学に進学し、歴史学と政治学を専攻した。当初はアーキメア・アカデミー時代と同様にフットボールに熱中、デラウェア大のチームであるデラウェア・ファイティンブルー・ヘンズに所属し、最初は新入生チームにおいてハーフバックとしてプレーしていた。学業の成績はあまり優れず、専攻していた歴史学と政治学において学士号を取得し、1965年に卒業したものの、688人中506番目というあまり良くない成績で卒業することになった。
大学院・弁護士時代
その後、シラキューズ大学のロースクールに進学。1968年に法務博士号を取得、修了後の翌1969年にはデラウェア州弁護士会へ加入し、ウィルミントンで弁護士として開業した。
ロースクール在学中の1966年に彼は最初の妻であるネイリア・ハンターと出会って結婚する。ネイリアとの間には2男1女(ジョセフ・ロビネット・バイデン3世、ロバート・ハンター・バイデン、ナオミ・バイデン)をもうけた。
幼少期から吃音症に苦しみ、その克服に20代前半まで要した。鏡の前で詩の朗読を続けていた。また近親者がアルコール中毒で苦しんでいたことから禁酒家となった。
群議会議員
1970年11月にバイデンはニューキャッスル郡郡議会(英語版)選挙の第4区に民主党候補として出馬し、当選を果たした。このころは弁護士としての活動を開始してから間も無い時であった。
妻子の交通事故死
1972年12月18日、妻のネイリアが交通事故で亡くなった。彼女はクリスマスの買い物をするため、3人の子供たちを連れてデラウェア州ホケッシンに車で出かけていたのだが、ネイリアの運転するステーションワゴンは、交差点でトレーラーに追突され、ネイリアとまだ幼かったナオミが死亡し、ボーとロバートは生き残ったものの、瀕死の重傷を負った。当時の警察の記録はすでに失われているが、当時の新聞の報道はトレーラーの運転手に過失は無いことを明らかにしている。なお、この日は連邦上院議員に当選した直後であった。
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まとめ
ジョー・バイデンは中流の家庭に育ち、デラウェア大学に進学し、歴史学と政治学を専攻したものの、688人中506番目というあまり良くない成績だったようです。
民主党では調整型の政治家として地歩を固めて大統領となることができたようです。
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